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烏垒国
漢代の西域指令本部「烏垒城」は、おおよその場所はわかっているが、城跡がいまだに発見されていない。
「漢書・西域伝」の記述から、烏垒城は西域を統括していて、漢の武帝は、第15次匈奴討伐軍を出動させたが惨敗。ふたたび第16次匈奴討伐軍を出動させたが敗北。武帝はこれを反省し、自己批判「輪台の詔」を出した。内容は輪台において屯田を止めるということだった。武帝死去頃から匈奴内部で内紛が起こる。匈奴の日遂王(につちくおう)が漢王朝に投降する。 そこで、すかさず漢王朝は、烏垒城に「西域都護府」を設置した。このあたりには広大な土地があり、灌漑すれば畑作ができた。位置としても西域の中央部で、西域の軍事拠点として都合が良かった。
城跡は現在の新疆輪台県から東に58kmを離れている策大雅郷にあると言う。